昨日は一日雨。子どもは敷居をレールにして、えんぴつしんかんせんを走らせていた。
ミッチ・アルボムの『もう一日』(NHK出版)という本を読んでいる。転落の果てに自殺に失敗した男が、数年ぶりに実家にもどると、空家のはずの家に死んでいるはずの母がいて、一日を母と一緒に過ごすという話。子ども時代からの母にまつわる回想が「母が私に味方してくれたとき」「私が母の味方をしなかったとき」として挿入されている。その小さなエピソードに鼻の奥がツンとくる。自分を振り返っても、10代の頃のことを思い出すのがつらいのは「母の味方をしなかった」ことだ。そしてそのまま死なれてしまった。
どのみち家族の話は幽霊話だと、書いてあって、そうだなあ、死んでしまわれるとそうなるなあ。幽霊の家族の話、トニ・モリスンの『ビラヴド』という小説のことも思い出したりする。
最後に、母と言葉を交わしたのは18歳の夏の終わり、もう秋になっていたろうか。私が大学にもどる日の朝、そのときは退院していた母は、痩せた小さな体を父に支えられて、玄関の外まで見送りに出てくれた。「行きさるか」と母が言った。「うん、行ってくらい」と私は言った。
それからまもなく母はまた入院して、もう話せるようではなくなっていた。何度かの危篤ののちに、死の知らせが来たのは秋の終わりだった。
そんなことも思い出した。
それからまもなく母はまた入院して、もう話せるようではなくなっていた。何度かの危篤ののちに、死の知らせが来たのは秋の終わりだった。
そんなことも思い出した。
「行きさるか」「うん、行ってくらい」その短いやりとりに何万の想いが込められている・・親と子の関わりとはなんと切ないものなのでしょうか
ただ、淡々と、淡々と流れてゆきます
11年前、母を見送ったときああもしたい、こうもしたいと思った母との時間は結局思うだけで終わってしまいました
一年生になった娘のことで精一杯だった
母は同じく秋に逝きました
暑い暑い秋でした
epuさん そうですね。親子のことは本当に思うようにいかないものですね。とりわけ生死のことは。思うようにいかないことの痛さも含めて、絆なのだろうと思います。いろんなことを、幽霊の母は、とっくにゆるしてくれているんだろうと思うんだけれども。